公開当時から気になっていてやっと観た。
全編を通して、ゲルダの愛の強さが1番に印象に残った。
ゲルダがリリー(アイナー)と離れず支え続けた理由が、リリーであることもひっくるめてアイナーを愛していたからなのか、アイナーへの執着ゆえにリリーを受け入れることにした(リリーの中にアイナーがいるはずだと思っていた)のか。
自分の中で答えは出ていないけれど、もし、アイナーからリリーへ心が完全に変わった後もゲルダを恋愛対象として見ていたら*1ゲルダはリリーとの関係を続けようとしたかもしれないなと思った。
そしてアイナーの友人のハンス、幼少期のアイナーにキスしたり友人の妻であるゲルダに惹かれてアプローチしてきたりで悪い色男枠かと思ったけど、良い役だった。
カミングアウトされるまでもなくリリー=アイナーであることに気付いていただろうし、ゲルダの心にアイナーしかいないことも分かっていて、アイナー、ゲルダ、そしてリリーの理解者として、支えてた。
ハンスがいなかったらリリーとゲルダの関係がこじれて、もっとドロドロの愛憎劇になっていた気がする。
後半のリリーのセリフからはアイナーという人格を捨てたいという思いが強く表れていて、残酷だなと感じた。ゲルダからすれば愛した人の存在と2人で過ごした時間を否定されたように感じただろうし、だからこそ、「私とあなたは結婚していたのよ」とリリーに強く言ったんだろうなと。
『わたしはロランス』や『ボヘミアン・ラプソディ』、『his』なども同様だけど、LGBTQとその配偶者について描かれるとき、自分らしく生きるために配偶者を傷つけるという展開が多いなと思う。
セクシュアリティは同じカテゴリ内であっても人によって様々で一概には言えないけれど、たとえば「世間体のために結婚する」という選択がなければ、当人も配偶者も傷つかずに済んだんじゃないかと想像してしまうな。
「自分らしく生きたい」を躊躇なく選択できる世の中になることの意義は、本人のためだけではないなと、今回観ていて思った。
人格の変化に伴ってどんどんゲルダへの恋愛感情が薄れていったリリー(アイナー)に対して、ゲルダの心にはずっとアイナーがいて、そのすれ違いが苦しかった。
ほとんどアイナーとしての心が無くなったであろうリリーとゲルダとの汽車の出発前のシーン、形は違ってもお互いを思い合っていることが伝わってきて、切ないけどすごく好きだなと思うシーンだった。
正直、話の展開に共感や感動はあまりできなくて、好きな映画かと言われると微妙なんだけど、アイナーからリリーへ変化していく過程で「女装」に見えていたのが終盤では女性らしくそれが自然だと見えたし、夫が1人の女性へと変化していく中で戸惑いながらも側にい続ける心境が表情の変化で伝わってきたりと、観てよかったと思う映画だった。